みんなの感想文(仮)

いろんなものの感想をみんなで雑多に書く試みです。よかったらいっしょに書きませんか。(@unichannosekaiまでお問い合わせください)

都内レンタルビデオ史

かつて高円寺には特殊VHSレンタル店が三件あった。

・オーヴィス

bon-bochi.blog.so-net.ne.jp

small music

d.hatena.ne.jp

バロック

medium.com

small musicはジャニスのようなセレクト系CDレンタルで、バロックに至っては鬼畜系サブカルショップだったので「レンタルVHS店」としてここ記述してしまうのは間違いでしかないが、いずれの店舗も貸出VHSサービスを扱っていたこと、高円寺カルチャーを語る上で外せない三店舗だったこと、そして三軒とも現在はもう閉店したという事実から来るある種のノスタルジーからここで乱暴に括ってしまうことをお許し願いたい。当時頻繁にこれらの店に出入りしていたサブカル小僧であったぼくにとってどうしてもこの老舗サブカル総本山の三件がほぼ同時期(2010~11年前後)に高円寺から姿を消したのはサブカルのメッカとしての高円寺の終焉を象徴しているように感じた(文庫センター閉店もこの時期)。

「特殊」としたのはこれらのどの店とも店主の好みを如実に反映した棚づくりをしていたからだ。オーヴィスでは気難しい顔のお爺さんが明らかにレンタル許諾されてない作品の海賊版DVDを堂々と貸し出していたし、small musicではいつもいたバイトのお姉さんがJoni MitchellとSufjan Stevensを薦めてくれた。small musicはお店の人だけじゃなくハイソで小奇麗なお兄さまお姉さま方がたくさんいた。バロック中通りのかなり目立つ位置にあったのだが入り口の全裸メドゥーサ像(?)と冷やかし厳禁の貼紙がとてもとてもおそろしくて先輩たちと一度入店しただけだったけど。

 

唐突だが 

レンタルビデオ店が消滅している

 

決してこれはTSUTAYAによってこれらの店が駆逐されたせいでもない。すでに一部のネットニュースで取り上げられているようにTSUTAYA自身でさえこうした閉店の波に抗えられずにいる。

ascii.jp

 

いま思えば、今年の唐突なビデオの日キャンペーン(まったく認知されたとは思えない)もこうした危機感を業界全体が自覚したからだったのかもしれない。

 

 

www.videonohi.jp

 

ネットでこうした暗い映像業界の記事やTSUTAYA閉店を惜しむマンガをなんとなく目にしたりしながらも、ぼんやりと不安を抱くこともなく渋谷TSUTAYAにせっせと通っていた。こことVODがあればそれでいいじゃん、なんて。

そしてある日、

 

都立大学前「レンタルキネマヒノマル」閉店

 

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ameblo.jp

 「レンタルキネマヒノマル」はVHS1000本をウリにした都内最大級の未DVD化作品の品ぞろえ、交換ノートや手書きポップによって彩られた店内の愛らしい雰囲気、そして何よりブログの文章から伝わるような店主ゴリさんのキャラクターによる映画愛溢れる良店だった、らしい。

らしい、と書いたのはぼくが「ヒノマル」へは閉店の報を聞くまで行ったことはなかったからだ。都立大学にぼんやりとそういう店があるんだなー程度には聞いていた。閉店のツイートを見て深夜に自転車をこいで駆けつけたぼくに店員のお兄さんが「もう閉店するから新規入会はできないんだよ、ごめんね」と申し訳なさそうに謝ってくれた。お兄さんにもう閉店するなら店内にでかでかと飾ってあったトレインスポッティングユアンマクレガーのポスターをくださいと言ったら「俺が欲しいからダメ」なんて言われた。GEOやTSUTAYAでさえ次々閉店するこのご時世に個人レンタル店が厳しいのはわかっていたがこうして目の前で潰れていく様を見るとさすがに感傷的にならざるを得なくなる。

 

東京都内でチェーンではない個人レンタルのお店はあと4つ。*1


レンタルビデオ店に限らず本屋であろうとカレー屋であろうと、閉店したお店とこれから閉店するお店しかこの世界には存在しない。

こうして文章を書いている今日、12月29日、ぼくはなんとなく焦りと危機感を覚えて高島平と西台の間にある「ハリウッドムービーズ」へ年の瀬で少しだけ混んでいる三田線を乗り継いで行ってきた。

 

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つづく…?

 

 

*1:日本映像ソフト協会のレンタル加盟店一覧より。もちろんこうした協会に属さず独自で貸し出しをしている店舗も未だどこかに現存しているのかもしれない。むしろそうであってくれ。

20世紀を開いたらしい哲学/古川綾①

 

こんばんは、古川綾です。

きょうは京都シネマロメールを観たあとお外で震えながら文章書き書きしてました。京都、室内でたばこ吸えるカフェが全然ないんですよね。つらい。

 

というわけで今回はフッサールについてです。といっても『イデーン』を読んだわけでもなく入門書をちょろっとかじった程度なのですが、まあそこらへんは入門書の入門といったテンションで読んでください。

 

さて、フッサールのなにが今までの哲学と違ってそれがどう面白いのか?という話なんですが、結論からいうとかれはそれまでの自然科学的なものの見方を変えたんですよね。

現象学的哲学ができるより前、人間が世界に対して取っている態度(世界の見方)は「自然的態度」とよばれていたんですがそこでは対象は認識主体の意識とは関係なくそれ自体として「客観的」に存在するもの(難しく言えばそれ自体でイデアをもっているもの)として認識されていた。

けれど、フッサールイデアとは対象それ自体にあるのではなく意識のなかで構成されるものではないかと考えた。意識の外側にいわゆる「客観的」世界があるのは違うんじゃないか、と。

 

で、ここからがフッサールの面白いところなんですが、かれは客観的世界の在り処を考えるのではなくその問題を一度わきに置いちゃうんです。そういった話は置いといて、なぜものがそれ自体として「客観的」に存在するという確信がもたれているのか考えようぜ、という。これがいわゆる構成――世界が人間に現出してくるその仕方――の分析です。

 

構成について考えたとき、わたしたちは対象をなにか「ひとつのもの」として認識しているがそれはそのつど変化する主観的なものによって与えられているのだとフッサールはいう。けれどその多様な与えられ方に関わらずわたしたちはそれを同一のものとして認識する。ここに多様な与えられ方を超越するなにかがあるのではないか。

 

この多様な与えられ方を超越する「なにか」をフッサールは「原的(オリジナル)」といいます。たとえば、リンゴをわたしが見ているときそこにほんとうにリンゴがあるかというその実在は疑えるけれど「わたしがリンゴを見ている」というその直観だけは疑えない。だから構成の分析をするときにはこの与えられ方を超越する「なにか」、「原的(オリジナル)」について考えなくちゃいけない。ここはクラウス・ヘルトの読解がわかりやすいので引用します。

 

だから構成の分析は、原的(オリジナル)な与え方の生起がいかにして意識を動機づけ、そのつどの状況に依存した与えられ方を「超越して」特定の種類の対象へ向かい、その存在を確信する(「世界信憑」)に至るのか、これを明らかにする。

(クラウス・ヘルト『20世紀の扉を開いた哲学 フッサール現象学入門』) 

 

ここからフッサールはさらに対象はそれを認識する意識とのあいだでいかに成立するのか、という話をするんですが、長くなってきたのできょうはこのあたりで…。

 

以上、フッサールについてでした。

 

古川綾

げそ文化55のキーワード①アクラ

 

今日はクレオール料理「アクラ」を作ります。

 

材料

・鱈         200グラム

・たまねぎ      半玉

・にんにく      2かけ

・薄力粉       250グラム

・ベーキングパウダー 10グラム

・牛乳        50cc

・たまご       2個

・トウガラシ     1本程度

 

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ベーキングパウダーが入ってませんが上の画像みたいな感じで。

 

 

まずは鱈を軽く茹でます。もし塩鱈しか手に入らなかった場合は数時間水に浸けて塩抜きをしてください。

 

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やる必要があるのか分かりませんが、なんとなくそれっぽいのでお湯から出したらすぐに冷水に入れます。多分身が締まったりするんだと思います。

 

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冷やして身を引き締めてあげます。

 

この後すぐにその身をマッシュすることになるのでやはり全く意味はありませんでした。

 

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ちなみに料理中の水分補給はウィルキンソンの炭酸水、BGMはバーチャルユーチューバー・キズナアイちゃんのゲーム実況です。

 

ほどよく身がほぐれていい感じにつぶれたらそのへんにしておきましょう。

 

続いてにんにくをみじん切りにします。

臭いが手についてしまうのが嫌だったので私はサランラップで手を巻きました。ビニール手袋はありませんでした(若者の貧困問題)。

 

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なんとなくそれっぽくなったので次は玉ねぎもみじん切りにします。

涙が出ないように注意してください。ちなみに玉ねぎの目が痛くなる成分は鼻から入るのでゴーグルをしても無意味なのだとワンピースの単行本で読んだ気がします。

 

みじん切りにしたにんにくと玉ねぎを鱈と混ぜます。ついでにトウガラシも混ぜます。

 

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若干ゃ入れすぎた感もありますが多分大丈夫です。

 

大惨事です。

 

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次にたまごを入れて混ぜます。たまごかけごはんみたいで美味しそう。

 

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残ったたまごはチャーハンにしたいと思います。ちなみに私のチャーハンの作り方は大人気グルメコミック『姉のおなかをふくらませるのは僕』に沿っております。読んだらいいことが起きます。

 

適当に混ざったら牛乳と薄力粉を適宜入れながらひたすらに混ぜます。

 

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我が家にヘラはありませんので、スプーンで混ぜます。なんか腕が疲れたなーってあたりで少しずつ牛乳を入れるといい感じです。

 

このくらいの固さになったら準備おkです。

 

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お鍋に油を注ぎましょう。

 

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お皿も準備しておきます。

 

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中四国を中心に展開するスーパーマーケット、イズミ・ゆめタウンでシールをためると貰えたムーミントロールのお皿を使います。小学生のころ、ヤフー知恵袋にあった「この写真の場所がどこだか分かりますか?」という質問に、母親が「フィンランドムーミンワールドだと思われます」と回答しそれがベストアンサーに選ばれていたのを思い出します。

 

残念ながらキッチンペーパーで隠れてしまいました。

 

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油をだいたい180度くらいまで熱し、スプーンをふたつ使って丸く成形しながら投入します。私はスプーンがひとつしかなかったのでお箸で代用しました。

 

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どぼん。

 

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油をおたまでかけてあげながら、きつね色になるまでしっかりと揚げます。

 

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このくらいでいいでしょう。

 

軽く油を切ってお皿の上に乗せます。

あとはこれをひたすら繰り返すだけです。

 

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どんどん。

 

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どんどんどん。

 

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どんどんどんどんどん。

 

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完全に作りすぎました。独り暮らしの男がこの時間に食べる量じゃないです。

更に誤算だったのは思った以上に膨らんだこと。ベーキングパウダーのせいでしょうか。

 

断面はこんな感じ。

 

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とりあえずこんな感じで完成です。

 

 

ソースも作ったんですが、こっちは大失敗だったので載せません。

 

味が気になる方は是非自分で作ってみるか我が家に遊びに来てください。できれば17歳くらいの女の子がいいです。

 

 

ここまで書いておきながらそもそもクレオールって何?アクラって?といったことを全く説明していませんでした。

フランス語なんかを学んだことがある方はご存知の方も多いかとは思いますが、クレオールっていうのは簡単に言うと「ヨーロッパ系入植者とアフリカ系奴隷が住むカリブ海植民地の状況を指す言葉」です。現地語と他言語が混ざってできた言葉を「クレオール語」って言ったりもします。

 

アクラは主にそれらの地域で食べられてる所謂フィッシュケーキです。小麦粉と魚(主に鱈)やスパイスなどを混ぜてフライにしたもので、地域によってさまざまなバージョンがあるそうな…。

 

ちなみに私はそれらを明治大学中村和恵先生の『地上の飯 皿めぐり航海記』(平凡社)を読んで知りました。面白いから読んでね(はぁと

 

ということで以上、「アクラ作ってみた」。

 

 

地上の飯―皿めぐり航海記

地上の飯―皿めぐり航海記

 

 

福満しげゆき『終わった漫画家』①

 うにです。いやー今日はあれでした。「かいちゃやめまーしゅ!」って言ってきました。

 上司は「あーそうなんだ」って感じでした。引き留めるとかなかったです。俺という貴重な人材を逃していいんか!?

 あと、このなんていうんですかね?「マリオカートレインボーロードでスター使ってる感」がすごいです。

 すごい加速してるけど、一歩間違えるとコースアウトの危機。一応3月までは働くんですが、そのあとの予定が無。

 大丈夫なのか、俺・・・・・・

 というわけで福満しげゆきの「終わった漫画家」です。みんなは福満しげゆき読んだことある?あ、馴れ馴れしくしてすみません。読んだことありますか?読んだことない人は『僕の小規模な失敗』だけでも読んでください。

 

僕の小規模な失敗

僕の小規模な失敗

 

  漫画家として生計を立てようと苦心するんだけど、なかなか軌道に乗らず、アルバイトでもミスばかりで、将来が不安になる福満さんの姿に、高校生の僕は激しく胸を打たれました。

 で、福満さんは、その後続編の『僕の小規模な生活』や『うちの妻ってどうでしょう』でちょっとヒットして、今ではお子さんも二人いるみたいですね。すごい・・・・・・!僕も福満さんの漫画が「アックス」に載ってるくらいの年齢だと思うんで、頑張らなければ・・・・・・。何を頑張るのかもよくわかってないんだけど。

 話がそれましたが、『終わった漫画家』。これも、福満さんが今まで書いてきた自伝的な漫画の続編なのかな~と思ってたんですけど、よりフィクショナルな作風でしたね。

 

終わった漫画家(1) (ヤンマガKCスペシャル)
 

 

 主人公は少年漫画を一発当てたあと、情熱とか才能が消えうせ、技術だけで漫画を描いてるっていう、まあ重いし泣ける設定なんですが、アシスタントとして若い女の子を二人雇うというところがポップなところですね。ちょっと癖のある絵ですが、女の子はかわいいです。

 福満さんの漫画の何が面白いかっていうと登場人物の内面描写ですね。基本的に思い込みの激しい人しか出てこない。「いや考えすぎだろ」って突っ込みたくなるくらい考えている人の姿が笑えます。

 ふだん日常的に他人とコミュニケーションをしながら「この人はいま何を考えてこういう発言をしたんだろう」とか考え込み過ぎて頭おかしくなりそうになってる人は、きっと福満さんの漫画に出てくるキャラに共感することでしょう。僕もそういうタイプです。

 だからこういう文章を書きながらも「わ、つまんな」「スベっとるやん」「オエエ」と読者のあなたが思っていないか不安です。思うな!「面白い」と錯覚しろ!

 ところでこのブログもなんか秒で飽きたりしたらいやだなーと思うんで、一緒に書いてくれる人を募集します!

 内容は何でもいいです今回たまたま漫画でしたが、小説でもいいし、実用書でも学術書でもいいし、CDとか、観た映画とか、最近思っていることとか。「カントリーマアムがどんどん小さくなっている」とか。

 言ってくれれば、このブログのIDとパスワード教えるんで、書いてくれませんか?よくツイートを連投したくなるときあるじゃない?でもフォロワーにうっとうしいと思われたらいやじゃない?その連投まとめて記事にしませんか?ギャラとかは特に出ないんですけど・・・・・・

 なんというか、こう「場」みたいなものにあこがれがあるんですよね。「場」を作りてーっていう。これも単なる僕のブログになっちゃったらあんまりおもしろくないので。どうか、頼みます。あと、ブログの名前とかも募集します。「自分ならこうする」みたいなアイディアもあったらください。

 それでは!